SatoshiWatanabeの日記

Fuga ひとり読書会 5 : 四方山話

四方山話と称してバッハと数字について考えてみます。第一番フーガについての考察が一通り終わりましたのでコーヒーブレーク的なものです。


Fuga 読書会 1:Fuga 1 四声 C-Dur 分析1
Fuga 読書会 2:Fuga 1 四声 C-Dur 分析2
Fuga 読書会 3:Fuga 1 四声 C-Dur 分析3
Fuga 読書会 4:Fuga 1 四声 C-Dur 分析4
Fuga 読書会 5:四方山話
Fuga 読書会 6:Fuga 1 四声 C-Dur 演奏


四方山話

テーマと数字

バッハはその他の大作曲家と比べても非常に構造的に入り組んだもの、すなわち様々な技巧を凝らした曲を作る傾向が強いのはご存知かと思います。対位法、和声、楽式的な技巧はもちろんのことそれ以外の部分でも様々な細工を施しているのだ、とされています。中でもよく聞くのはテーマや動機の音数や音符数に意味があるといったものではないでしょうか。例えば平均律クラヴィーア曲集第一番フーガのテーマを見ていくと


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のように14の音でできています。これは「BACH」の名前を数に直したものと言われています。各アルファベット上の位置を見ていくと


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つまり


 \mathrm{B}=2
 \mathrm{A}=1
 \mathrm{C}=3
 \mathrm{H}=8


ですので



    \begin{eqnarray}
        \mathrm{B}+\mathrm{A}+\mathrm{C}+\mathrm{H}&=&2+1+3+8\\
        &=&14
    \end{eqnarray}


となりテーマの音数と一致します。また同じように鍵盤楽器用練習曲としておなじみのインベンション第一番を見ていくと


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となっています。一般的なインベンションの譜面ではテーマはこのようになっていると思います。あれ?12しかないじゃん…と思いますよね。安心してください。1723年の最終稿では一部が三連符に書き換えられており


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のように14の音でできています。平均律クラヴィーア曲集と同じくインベンションにおいても曲集の最初の曲である第一番のテーマは「BACH」の14音です。

数の意味

数に対しては様々な意味付けが可能ですが、バッハが用いると思われる数への意味はある程度限定できます。まず名前ですが


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のように4、6、8、10, 12, 14, 18が名前により意味付け可能です。さらに先ほど述べたように「BACH」のアルファベットの位置の数として14を意味付けることが可能です。続いてキリスト教での数の意味づけです。バッハは当時神聖ローマ帝国プロテスタントの家系の出身であるためキリスト教での数字の意味を用いる可能性があります。皆さんも12が神聖な数であるとか13が不吉な数であるという話は聞いたことがあるかと思います。主なもので

出所
聖書研究wiki@trinity_kristo - アットウィキ


のようなものがあります。各々の数字がなぜそのように意味付け可能かについては回りくどいので書きません。興味のある方は聖書や出所などを見てください。またある程度キリスト教における数字の意味にも依存していますが音楽における意味のある数字もあります。主なもので


ここまででバッハが意味をつける可能性のある数をまとめると


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のようになります。18までの数字のうちなんと13個までもが簡単に意味づけできました。

意味のある数?

ここまで読んでいただいて察しの良いお方はすでにお気づきかと思いますが、つまり私が言いたいのは数に意味をつけようと思えば何とでもし得るということです。例として平均律クラヴィーア曲集の第一番フーガに限定して考えていきます。まずテーマの「数」をどう考えるかですが、先ほどのように


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と14音の構成と数えられます。ところが


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のようにタイでつながれた音を別に数えれば15音とも数えられます。15という数字は上記のリストでは意味は付きませんが、もしバッハ由来の非常に意味のある15があったらどうでしょうか。後世の人々は「だから15音でテーマを作ったのだ!」と言い出すと思いませんか?私は大いに「言い出す人がいそうだなぁ…」と思います。ちなみにインヴェンションは15曲、シンフォニアも15曲です。

言葉遊び

試しとして、というより軽いお遊びとして平均律クラヴィーア曲集第一番フーガのテーマをもとに色々やってみます。

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このようにテーマは6種類の音から構成されています。先ほどのリストで6という数字にどう意味付けできるかを見ると

  • Johannの文字数である
  • 旧約聖書における神が天地を創造するのに費やした日数である


という意味付けができます。また数学等では


とも言えます。完全数とは「自分自身を除く正の約数の和に等しくなる自然数」のことでこの場合


 1\times 2\times 3=6
であり

 1+2+3=6
でもある


が成り立つので6は完全数です。これらの意味づけに基づいて言葉遊びをしてみると


バッハの平均律クラヴィーア曲集の開始である第一番フーガのテーマではC、D、E、F、G、Aの6種類の音が使用されている。6という数字はバッハの名Johannの文字数と同じでありかつキリスト教においては神が天地を創造するのに費やした日数である。つまりバッハはこの曲集最初の重要なテーマの中で6種類の音を使うことにより、自身(Johann)が平均律クラヴィーア曲集という深遠な世界(天地)を創造する行為を暗喩したのである。また完全数でもある6を選んだのは、この曲集の十二平均律のすべての調を満たすという完全性を表すために他ならない。まさにこの壮大な構想を持った曲集の始まりにふさわしい深遠な意味がこのテーマには隠されているのだ。


とか言えそうです。また動機で見てみると


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のように分割できます。6は上で見たような意味付けができます。では先ほどのリストで4はどうなっているかというと


のような意味がつけられます。では再度これらの意味づけに基づいて言葉遊びをしてみると先ほどとほとんど変わらない意味づけが可能で


バッハの平均律クラヴィーア曲集の開始である第一番フーガのテーマは三つの動機からなり、それぞれ4音、6音、4音の構成である。初めの4はバッハの名Bachを表し、続く6は天地創造に費やした日数を表す。また最後の4はキリスト教において世界を表す数字としての4である。つまりバッハはこの曲集最初の重要なテーマの中で4音、6音、4音の動機を順に使うことにより、自身(Bach)が平均律クラヴィーア曲集という"天地"を創造し深遠な"世界"を作り出す行為を暗喩しているのである。まさにこの壮大な構想を持った曲集の始まりにふさわしい深遠な意味がこのテーマには隠されているのだ。


とか言えそうです。これとまったく同じ4音、6音、4音の構成に言及する形で別の言葉遊びをしてみると


バッハの平均律クラヴィーア曲集の開始である第一番フーガのテーマは三つの動機からなり、それぞれ4音、6音、4音の構成である。初めの4はバッハの名Bachを表し、続く6もバッハの名であるJohannを表す。また最後の4はやはりバッハの名Bachをあらわすのである。つまりバッハはこの曲集最初の重要なテーマの中で4音、6音、4音の動機を順に使うことにより、私はBachだがJohannでもある。しかしどちらかと言えばBachなのだ。という事を暗喩しているのである。まさにこの壮大な構想を持った曲集の始まりにふさわしい深遠な意味がこのテーマには隠されているのだ。


とかも言おうと思えば言えます。何故誰も最後みたいなことは言わないんでしょうか?

アナグラム

この手の話は世界中のどの業界でもあります。アナグラムというのをご存知かと思います。アルファベットを入れ替えて元とは違う意味の単語や文章にするというものです。例えばシェイクスピアの名前のアナグラム



WILLIAM SHAKESPEARE

HERE WAS I, LIKE A PSALM


等が有名です。直訳だと「ここは私だった、詩編のような」。まぁ「私は詩編のようなものであった」という感じでしょうか。何故このアナグラムをいま持ち出したかというと先ほどまで話していた数字の意味づけと深いかかわりがあるからです。シェイクスピアには23やその倍(23+23)である46という数字が深く関連付けられています。例えば

  • 23に由来する事
    • 誕生日は1564年4月23日と言われている
    • 死亡日時は1616年4月23日と言われている
    • シェイクスピアの戯曲をまとめた最初の作品集(First Folio)が出版されたのが1623
  • 46に由来する事


というものです。特に最後の詩編46に関しては先ほどのアナグラム"HERE WAS I, LIKE A PSALM"「私は詩編のようなものであった」にかかっています。では実際に欽定訳聖書詩編46を見てみると

  1. God is our refuge and strength, a very present help in trouble.
  2. Therefore will not we fear, though the earth be removed, and though the mountains be carried into the midst of the sea;
  3. Though the waters thereof roar and be troubled, though the mountains shake with the swelling thereof. Selah.
  4. There is a river, the streams whereof shall make glad the city of God, the holy place of the tabernacles of the most High.
  5. God is in the midst of her; she shall not be moved: God shall help her, and that right early.
  6. The heathen raged, the kingdoms were moved: he uttered his voice, the earth melted.
  7. The LORD of hosts is with us; the God of Jacob is our refuge. Selah.
  8. Come, behold the works of the LORD, what desolations he hath made in the earth.
  9. He maketh wars to cease unto the end of the earth; he breaketh the bow, and cutteth the spear in sunder; he burneth the chariot in the fire.
  10. Be still, and know that I am God: I will be exalted among the heathen, I will be exalted in the earth.
  11. The LORD of hosts is with us; the God of Jacob is our refuge. Selah.


となっています。あれ?"spear"は最後から47番目じゃないか?と思った人は残念。この説を唱えている人によると「最後の"Selah"はカウントするべきではない」のです。一つ一つ考えてみます。

  • 誕生日は1564年4月23日と言われている
洗礼日は26日と言われていますが、そもそも正確な誕生日は不明です。
  • 死亡日時は1616年4月23日と言われている
これも伝承でしかありません。正確な死亡日時は誕生日と同じく不明です。
若い時分に非常に活発に活動した人気劇作家ですので1623年時にも何かしらの書籍は出ているでしょう。さらに言えばこれほどの大作家ですから出版された書籍はすべて歴史的にも重要な資料扱いです。
これは正しいかもしれません。が、この後の詩編に関する項は成立しませんのでこのことに意味はないでしょう。
かなり無理のあるアナグラムと考えますがいかがでしょう。
  • その欽定訳聖書内の詩編46における英単語の最初から46文字目と最後から46文字目は"shake"と"spear"(シェイク、スピア)
これに関しては先ほど述べたように最初から46文字目は"shake"ですが最後から46文字目は"in"です。つまり合わせても"shake in"「振り回す」です。つじつま合わせで「最後の"Selah"はカウントするべきではない。」という意見もありますが省かなくてはいけない理由は聞いたことがありません。


というようにバッハの場合と同じようにかなり無理のある、もしくはどのようにでも言いうる話だとは思いませんか?

ようするに

人は得てして話を面白おかしく描きたがるものです。確かに上記のような意味付けは多少(!?)の無理に目をつぶってしまえば退屈な物事に物語的、劇的な面白さや華やかさを付加しますし、あるいはまるでその退屈な物事に深遠な意味があるかのように感じさせてくれる側面があります。しかしこのような意味づけには非常に危険な側面、つまり現実からの乖離が起こるという側面がある事も事実です。心理学者のMichael S. Gazzanigaはこのような行為の主体を「インタープリターモジュール」と呼んでいます。簡単には

  • 状況と(できるだけ)矛盾しない後付けの答えを無意識に自動で作り上げる機能


を持ったモジュールです。これは左脳に存在するモジュールです。Gazzanigaは自分のしてしまった行為に対して自分で意味付けを行う機能を持ったモジュールをこのように呼んでいますが、上記のような数字への意味づけが起こるのもこういったものの延長線上ではないかと私は考えています。具体的な話はいずれ神経科学がらみの話でもするときにしておきます。


だらだら書きましたが結局は事実であることが明確ではない場合、またはどのようなつじつま合わせも存在していないと言い切れない場合には「~伝説」程度の認識にとどめておいた方が無難だと思う、という話だったのですがどのように感じますでしょうか?


四方山話はこの辺にして今回は終えようと思います。


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